児童虐待 最多13万件

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 上記の記事は、8月30日中日新聞〔夕刊〕です。一部は、31日の朝刊にも掲載されていますし、昨日のNHKニュースでも、児童虐待の報道をしていました。

児童虐待 最多13万件】《昨年度面前DV通告増える》《虐待死の77人 4割が0歳児との見出しの報道の中で、私が感じた一部を抜粋します。

『配偶者への暴力で子どもがストレスを受ける「面前DV」が心理的虐待として認知され通告が増え続けている』

 

『今年6月時点で、所在不明の18歳未満の子どもが28人いることを公表した』

 

『半数近くが警察からの通告だった』

 

『無理心中の28人を含め、死亡した子どもは77人(前年度比7人減)で、うちゼロ歳児が4割に当たる33人を占め、1〜5歳が17人、6〜10歳が16人、11〜16歳が9人で、残る2人は年齢が分からなかった』

 

『加害者では「実母のみ」が67.5%と最も多く、「実母と実父」がいずれも11.7%と続いた』

 

『心中以外で亡くなった子どもの母親の半数が「予期しない妊娠だった」と指摘し、妊娠期から支援が必要な母親を早期に把握するとともに、継続的な支援を進める必要がある』 以上です。

 

私は、「戦争と乳幼児童への虐待、そして国家による自然の生態系破壊は許すことができない」と明言しています。何故ならば、抵抗できない・もの申すことができない弱者程、被害を被るからです。また歴史的に見て、自然の生態系が破壊された土地は砂漠化していくからです。

 

2000年から、桑名市でも児童虐待死事件が一年おきに起きるようになりましたので、地区公民館・センターでの「子育てキッズ」事業の必要性を要望し続け、大山田・城南・七和のセンターでの「子育てキッズ」事業が軌道に乗り始めてからは、桑名市での虐待死事件は発生しなくなりました。偶然かもわかりませんが…?!

 

虐待死事件が起こらなくなったことは、偶然かも知れませんが、何らかの「施策」を行えば虐待・虐待死事件は減少することが実例としてあります。


夏休み終わらなかったらいいのに

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 上記の新聞は、8月27日の中日新聞〔朝刊〕です。

子どもの自殺問題⇒内閣府が2015年に公表した自殺対策白書によると、1972年〜2013年に自殺した18歳以下は1万8千48人に上がる。…。夏休み後半から休み明けにかけて自殺防止対策が必要であると指摘している。とあります。

 

30年近く前から、私自身が個人的に関わっている仕事がら、自殺された方々の葬儀にも関わらせて頂きました。後で、家族の方に聞いてみると、自殺するには、何らかのサインがあったことが分かってきます。

 

「自らの命を絶つ」にはそれ相当の思い・悩みが深くあったことは確かです。私は、議員にならせて頂いてから、「三つ子の魂百まで」という諺を思い出し、子ども時代から「生き抜く力」の大切さを感じていました。

 

昨日もいなべ市で「遊びの保育」を実践されている保育園の理事長と1時間近く、「三つ子の魂 百まで」の話を含め、乳幼児期〜学童時代の大切さの話をお聞きしました。

 

私自身、議員として、中央公民館・まちづくり拠点施設(地区市民センター・公民館)で、こども食堂を含んだ児童館的役割を持った施設の必要性を訴えています。〔多くの課題があることが分かってきましたが…〕

 

今年の夏休みの学童保育では、行政スタッフの熱意もあり、メディアライブと在良の福祉センターで学童保育が行われています。

夏休み限定の学童保育では、異なる学校の児童があつまる利点があります。また、福祉センターの学童保育では、「高齢者+障害者+児童」が同じ施設でふれ合いながらの日々を過ごすことが出来ています。好評です。

 私自身も、要望し続けて良かったとしみじみ思っています。

 

昨日、私がお世話になっているプロの方に見てもらいました。不思議なことですが…その方が操作すると何事も無かったように動くのです。


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写真の転送と文字・文書の訂正ができない状態になっていますので書けません。フェースブックで一部を書いています。


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パレスチナ「天井のない監獄」で夢を追う

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 上記の左は、フォットジャーナリズム月刊誌「DAYS japan」の表紙⇒写真の説明には、「家屋が徹底的に破壊された地区を歩くマリアム・ナブハン(9歳)。停戦後10か以上たっても、恐怖とショックでほとんど口もきけない。ギリム通り地区・ガザ北東部」とあります。

私は、この雑誌を開ける前には、神に祈りを捧げてからでないと開くことができません。この世のものと思えないくらい悲しく・悲惨で・残酷な記事・写真があります。

 自分の子ども・孫とリンクしてしまいます。

 

 写真の右は、2018年8月22日・中日新聞夕刊〕の9面記事です。

壁の向こうへパレスチナ自治区ガザ続く衝突、不自由な生活】【天井のない監獄で夢追うとの見出しです。

この新聞記事の右上の写真の説明には、「アハマド・ サワフィリの自宅を訪ね、握手するアタラー・ファユミー。サワフィリの励ましを受け、別れ際には晴れやかな表情になっていた=7月」とあります。

 

励ましたサワフィリ氏とフィアユミー氏の事は記事に掲載されていますので抜粋します。

『…。アハマド・サワフィリ氏(29歳)の左腕、両足はない。18歳の時にイスラエル軍の空爆で奪われたのだ。次女はイスラエル軍とハマスの戦闘下、重病で入院中の病院で命を落とした。…。

 励まされるアタラー・フィアユミー氏の右足は、イスラエル軍の放った銃弾が足に当たり、右足を失ったのです。…。』以上とあります。

 

現在の新聞で、これほど具体的にパレスチナ苦悩の記事が報道されている新聞記事は、少ないのでは?!と、思っています。

8月22日の中日新聞〔夕刊〕記事を読んで下さい。


アナン元国連事務総長の死:早期終戦うたい化学兵器初使用

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 上記の新聞は、8月19日の中日新聞〔朝刊〕の5面記事です。

左の記事は、『…。反戦への姿勢はかたくなだった。…。イラク戦争を始める前年の2002年9月の国連総会。軍事行動も辞さない構えを明確にした当時のブッシュ大統領に対し、アナン氏は「自衛権行使を超えた武力行使ができるのは国連以外に存在しない」とけん制。米国とのあつれきは強まり。2006年の退任直前までブッシュ批判を繰り返した。…。』

 

右の記事は第一次世界大戦時の化学兵器使用に関する記事です。

 記事の最後のコメントには『欧州で「ザ・グレート・ウオー(大戦争:推計では千6百万人が死亡)」と記憶される第一次大戦は、今年11月11日に終戦百年を迎える。一世紀前の大戦の反省は生かされているのか。』とあります。

 

日本に限って言えば、ノモンハン事件(戦争)の検証・総括もせずに、3年後には、太平洋戦争を始めました。私は真剣に考えれば考えるほど、何故…人間は「色々な理由をつけて、戦争を始めたがるのか…?!」理解できないのです。

 

私は、戦争を始めるための命令を出す責任者(日本で言えば総理大臣)が、第一線・前線に行くべき!だと思っています。

歴史上全ての戦争において、戦争を始める命令を出す人間は、最も安全な場所」×「最初に犠牲になるのは戦地に赴く若者、そして女性・子どもです。

 絶対にオカシイのです!!

 

反戦・非戦…民主主義の言動を行ってくださる著名な方々が、最近お亡くなりになってしまいます。心配です!!


終戦〔敗戦〕の日の新聞から

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 記の新聞は、8月16日の中日新聞〔朝刊〕の3面と2面記事です。

右の2面記事には、安倍晋三首相への論票と天皇陛下のお言葉⇒『首相→加害・反省また述べず:先の大戦でアジア諸国への加害責任に触れず、反省や謝罪の言葉もなかった。』

 安倍晋三首相の言葉に対し、天皇陛下は、『「深い反省」に言及。戦後70年の2015年以降、4年続けて「深い反省」の表現を使っている。』以上が記載されています。

 

左の3面記事には、天皇皇后両陛下のお言葉⇒『陛下→反省と繁栄 戦後肯定「…追悼式のお言葉には、時代に応じた表現を変えながら、平和と非戦を願い続けた陛下の思いがにじむ」:元側近は「陛下は戦争の記憶風化に強い危機感をお持ちだった」と話す。陛下は皇太子時代の記者会見で「日本人として記憶しなくてはならない四つの日に終戦の日沖縄戦終結の日(6月23日)、広島長崎への原爆投下日を挙げた。これらの日は毎年、皇后さまと皇居・御所で黙とうする。

 両陛下の気持ちに応えるように、若い皇族も過去を学ぶ。皇太子ご夫婦は9日長崎原爆の日、午後に英国短期留学から愛子さまが帰国するのを待ち、3人で黙とうした。……。』以上とあります。

 

自民党・安倍晋三首相×天皇皇后両陛下の先の大戦への思いが180度違っていることが分かってきます。

 

安倍晋三首相は、3.11の原発事故〔事件〕による被災者の方々が置かれている状況すらを忘れているのではないか…?!と思っ思わざるを得ないのです。

 

私自身も、終戦〔敗戦〕の日、沖縄戦が終結した日とされる6月23日、広島・長崎へ原爆投下された日には、黙とうしています。

また、現在でも時々、伝馬公園や御坊さん付近で、濃い青色のひびが入ったメガネをかけ、耳・足・腕がなかったりした人が薄汚れは白衣を着て、ハーモニカを吹き、弁当箱を前に置いてカンパしている傷痍軍人の方々がの姿を思い出す時があります。


被爆写真 日本でも配布

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 上記の写真は、2018年8月16日 中日新聞〔夕刊〕の10面です。

写真の説明には、『ローマ法王フランシスコが、平和の大切さを訴えるために配布した「焼き場に立つ少年」の写真=バチカン提供・共同』とあります。この記事は、2度目です。

この写真は、私・伊藤研司の「議会だより」昨年の12月の議会だよりにも掲載しました

被爆写真 日本でも配布】《核廃絶へローマ法王指示

『…。核廃絶を呼び掛けているローマ法王フランシスコは、昨年末、米軍の元従軍カメラマン故・ジョー・オダネル氏が長崎で撮影したこの写真に「戦争がもたらすもの」との言葉を付けて印刷し、広めるよう指示した。…。亡くなった弟を背負って焼き場に来て火葬の順番を待つ少年について「血がにじむほど唇をかみしめて、やり場のない悲しみをあらわしています」と記した。…』以上とあります。

 

背負われている妹の火葬の順番を待っている少年です。


今日は、終戦(敗戦)から73年目の日

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 上記の写真は、左→琉球新報社の『沖縄戦新聞』です。私は数セット買って、自宅・事務所・議会の会派の部屋にそれぞれ置いています。

 戦争の悲劇・悲惨さ・残虐性をいつも忘れないように、時々、その内の何枚かだけですが、ざっとみることにしています。

 

右→8月14日の中日新聞〔朝刊〕の29面です。

遅すぎた終戦工作】【米内:よない:光正の証言録、防衛研保管

この米内光正の言動・証言録に関し、記事の最後に明治大学特任教授・纐纈こうけつ厚氏がコメントを書いておられます。

『天皇制維持のため、国民の犠牲もいとわなかった当時の戦争指導者の無責任さを、分かりやすく証明する資料だ。 昭和天皇による聖断で戦争は終結したが、もっと早く決断をしておれば東京大空襲や沖縄戦、広島と長崎の原爆投下を避けられたかも知れない。 米内光正は確かに終戦工作に携わったが、戦況の厳しさを熟知する軍首脳部として体を張るべきではなかったのか。

 戦犯でこそないが、遅すぎた聖断に関与した人物としても米内にも一定の責任がある』以上とあります。

 

10年位前の正月にNHKで、「日本人は 何故、戦争へと向かったのか」をみました。〔録画してあります〕

その映像で、10月?に開催された御前会議の席にも、陸軍大臣を除いて、日本の戦力から考えてもアメリカの戦争はムリがあると、内心では思っていて、誰かが言い出してくれるのではないか…?!と、期待していたが…。結局は言い出すことが出来なく、12月8日の朝を迎えることになってしまったのです。

 

日本人的な体質⇒「長い物には巻かれろ」「沈黙は金」…「議論することが苦手」「政策議論で意見が異なれば、人格を非難されたと思い込む」「自らの考えより、その場の空気を読む」…等々のことから、その時の権力者の意見に逆らえない…体質、体制翼賛政治体制が敷かれてしまうのでないか…国会でも地方議会でも…?!と思っています

 私は、「塩梅良く」という言葉は好きですが…?!

 

私自身は、「戦争と虐待、そして、国家による自然の生態系破壊」には誰が何を言おうが絶対に反対です! しかし、その他の政策は二元代表制の下、是々非々の立場で議論して、意思表示(採決)をするのが良いとの考えで、それを実行しています。

 そのような私が、何故?「抵抗勢力の第一人者」と噂されている?のかが理解できないのです。

 



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